5.11 D.A.N. TEMPEST TOUR @梅田Shangri-La

ツアー初日の梅田シャングリラ。去年のフジロックでは時間が間に合わなくて見れなかったので、リベンジに行って来た。
D.A.N.というバンドに詳しいわけではないが、彼らは「パフォーマー」と「オーディエンス」との仕切りがはっきりした場に居るべき人たちではないように感じた。彼らの鳴らす音は「パフォーマー」と「オーディエンス」の交わりがはっきりと見えるものではなくて、見える必要もないもので、もっと個人的で内向的だった。そういう意味で、演奏している彼らがステージ上にいる必要性をほとんど感じなかった。
とりわけここ数年のことだけれど、アイドルとか特定の「ブランド・イメージ」を持ったアーティスト以外について、私はアーティストが誰なのかということをそこまで気にしなくなってきた。言ってしまえば、踊れて気持ち良くなれる音楽であるなら、どこの何というアーティストなのかということにそれほど興味はない。もちろん、とあるアーティストのアルバムを聴いているときに、もっとこういう感じの曲を聴きたいと思ったときなんかに、アーティスト名を調べてディスコグラフィーを見て、ということはする。だけど、昔に比べると、アーティストに対する執着はずいぶんと減った。ように思う。
ただ、たとえばSuchmosみたいに、フロントマンをはじめとしたメンバーにある種のスター感がある、もしくは事務所がそういった部分をつよく押し出すような売り方をしている場合には、アーティスト名は重要になってくると思う。だけど、私から見たD.A.N.は彼らと対極の場所にいるような、極端に言えば顔がなくても良い存在だった。
ライブ自体の感想は、ひとことでまとめちゃうと、すこし退屈だった。
ロックでもダンスミュージックでもなく、そのどちらでもある、というような立ち位置でやっているからか、見ているこちら側もどちらにも振り切ることができない。これまでシャングリラで見たどのライブよりも幻想的で素敵な照明効果とはウラハラに、なぜか興ざめしてしまう。音が途切れて、踊りを中断されてしまう瞬間。30分でも1時間でも、MCなんか抜きにして、ひたすらに踊らされていたかった。ちょうどリズムに酔って来た頃に、ぶつりと途切れる音楽。そのたびに夢から醒めたような気分になって、少しだけ悲しくなっていた。

最近売れて来た同世代のバンド。曲は好きだと思えるものが多いのに、ときどきインタビューとかを読んでみたりすると、馬鹿みたいにイライラすることが多いのは、どうしてだろう。